ジェスチャーオブリスニング

ウルリッヒ・マイヤー-ホーシュ

 

 私は劇場の客席に座って、有名な演出家によって演出された古典演劇の作品を見ている。劇場や俳優の評判は大変良く、作品はとても力強い。しかし今晩、それは死ぬほどつまらなかった。何が起きているのか?何が足りないのか?それは至極単純である。足りないものは基本的なものである。俳優がお互いを聴いていないのである。

 こういった小さな出来事は最近の劇場だけでなく、一般の現代社会においてもよくおきることである。人が自分の意見、主義、主張を述べはするが、他人の意見には一向に耳を傾けない。21世紀に多くの争いは、聴くことが一様に欠いていることが原因となっている。モノローグ(独白)は言うが、しかし本当のダイヤローグ(対話)にはエネルギーを注がない。舞台上で聴かないことは、行き止まりを意味するのである。

 

マイケルチェーホフは、俳優個人の好き嫌いや共感反感は「沈黙させる」べきで、そして「心から聴く」べきであると主張した。マイケルチェーホフが、穏やかに集中して道端で座っている一枚の美しい写真がある。まるで想像の世界に囲まれ瞑想をしているのか、白昼夢に耽っているかのようにみえる。彼はその状態を「能動的に待つこと(active waiting)」と呼んだ。彼は自分を取り囲むイメージと交流していたのか、それともスピリチュアルな世界に心を開いていたのか、耳を澄ませていたのか、それは分からない。しかし感じることは、全ての演技やパフォーマンスは能動的な静寂から始まるということである。

 

集中

 

 ダーリントンホールのスタジオでは、チェーホフはカリキュラムの中心に集中と想像力を置いた。いくつかの基礎トレーニングでは、聴くことに重きを置き取り組まれた。チェーホフは集中には二種類あると示した。一つ目は、物や音が美しく、惹きつけるというもの。「人がそれに気づき、したがって無意識に集中する。」二つ目の集中は能動的である。とりわけ心惹かれないものを取り上げ、注意を向けるようにする。「それは意識的あり、意志を必要する集中であり、これこそわれわれが興味あることである。」

 もしここで言われていることを、分かりやすく聴くことについて言い換えるならば、二つの事が言えるであろう。第一に、聴くことは行動(Actionである。つまり動きであり、内的かつ外的な動きになりえる。第二に、聴くことは意志を伴う行為であること。私たちは自分たちのまわりにあるものを、聴いたり無視したり選択することができる。

 チェーホフは集中を四段階の過程として説明をしている。それらはほとんど同時に行われている。「聴く」という行為の過程において、第一に、音を捉える。第二に、その音へと自分自身を送る。第三に、その音を引き寄せる。第四には、その音と混ざり合い一つになる。音楽や声や音を聞いた時に、これらの段階を瞬間的に経験し、それと共にあることを知るのである。これらの瞬間は自然で美しい。余計な緊張をせずに、とても楽に行われる。音が私の中にあり、また私も音の中にある。

 

私達は聴くことを「送り出す(sending out」と「引き寄せる(drawing in」として理解することができるのと同時に、「放つと受け取る(Radiating and Receiving)」としても理解できる。役に取り組む際に、台本全体を見て、自分の役がより「受け取る状態」で聴いているのか、より「放つと渡す状態」で聴いているのかを見ることができる。実際は、受け取ることなしでは渡すことはできないし、また渡すことなしには受け取ることはできない。聴くことは両者になる。意識は自分と音の間で行き来するのである。

 

ジェスチャー

 

おそらくチェーホフでもっとも知られた演技ツールは、サイコロジカルジェスチャー(心理的身振り)である。つまりそれは、役の目的の本質を表し、意図や方向性を伴った、全身を使った精神的かつ身体的な(サイコフィジカル ”psychological“)動きのことである。

 聴くことは意図を伴った動きであり、意志につながった行為ある。そしてその意図を伴った動きをジェスチャーと我々は呼ぶのである。なので、実は聴くことは芸術的な選択なのである。何が聴く目的なのかを選択することができ、そしてそこに内在するサイコロジカルジェスチャーも選択することができる。またどのように聴くのかについても選択することができる。つまり、どのような質(クオリティ)を聴くというジェスチャーに加えるのか、また質(クオリティ)につながる内的なイメージとどのように関わるかということである。

 

心をこめて聴く

 

 ハリウッドの俳優達に向けた講義で、チェーホフは聴くことと話すことにおいての利己主義について話をした。これは私にはとても現代的に聞こえる。しかしどのように聴くのかを私達は学びなおすことができるのか?

 第一に、このテーマに関して意識を鋭くしなければならない。簡単な例としては、私の娘がバイオリンを弾いている。音楽に耳を傾けながら、練習する娘の横に座ることが何よりも好きである。しかし、どのように聴いているのか自分自身に問わなければならない。本当に音楽を聴いているのか?ちゃんと弾こうとしているその女の子に集中しているのか?つまりそれは音楽に対する自分の意見に意識を向けてしてしまってはいないだろうか?練習をしている最中も、私の意識は他事にいつの間にか向かってしまっている。私は集中をしていない。私は娘とも一緒にいないし、音楽とも一緒にいない。そこには改善する余地がたくさんあるのである。

どうやって人の話を聴いているか自分に問いかけてみる。自分が集中と意識を向けているところはどこであろうか?チェーホフが言うには、

 

「私は開いた思考と心で話を聞いている。何を伝えようとしているのかと知的に「解釈」しようと頭で聴いていないか?好きじゃない、信用できないからという理由で、批判的な気持ちで聴いていないか?自分の意見を誰かが代弁しているので、聞いている最中、賛成といううなずきをしてはいないだろうか?話されていることに関して、鼻から賛成だったり、反対だったりしていないだろうか。次に自分が何を言うことに集中をしていて、気持ち半分で聴いているんではないだろうか?」

 

ほとんどの人たちは、自分達があまりに無関心であるという問題を分かっていると思う。チェーホフはそれに対して簡単なアドバイスを与えてくれている。

 

「自分の思考や偏見に少し黙ってもらい、誰かが話していることを心から聴くようにしなさい。あとになって分析したり、賛成や反対をしたり、否定や批判をしたりする時間はいつでも持てます。しかしまずは心から話を聞くところから始めなさい。」

 

そしてチェーホフは、この聴く方法に関して、いくつかの素晴らしい要素を加えている。それはユーモアと安の感である。なぜならもし自分が自分を笑えるのなら、その人は心と耳を他人のために開くことができるからである。

 

聴くジェスチャー(Gestures of Listening

 

過去何年かで、私の劇団でいくつかのエクササイズを作ってきた。それを私たちは「ジェスチャーオブリスニング(Gestures of Listening)」と呼ぶことにした。それは集中における重要な4段階を見つけ出した、オットー・シャーマンの研究に由来する。シャーマンの考えを稽古場へと持ってきて、聴く4つの異なる段階をサイコロジカルジェスチャーで表し、身体的に探究するのである。

 

⑴ダウンロードのように聴く

 「審査して、分類する」ことをして聴く、と以前私は呼んでいた。この状態での聴くということは、習慣的な判断を再確認しているだけある。「あぁ、そんなこと私はもう知っている。」聞いたことに賛成や反対をするかもしれないが、自分の枠に内にとどまっている。自分の知覚が、習慣的な判断からやってくるのである。

 

⑵対象に集中して、もしくは事実を聴く

「あっ、あれをみて!」というように、「事実や、奇抜なことや、まだ明かでないことに注意を向ける」ことで、重要な情報を手に入れるために話を聴くこと。この状態では、自分がすでに知っていること以外の内容に注意を向ける。「聴くことを自分の目の前にあるデータに集中するように切り替える」。自分の感覚や開かれた思考で知覚する。

 

⑶共感的して聴く

 この三つ目の状態では、「ある特別な機能を活性化させ調整する必要がある。それは開かれた心である。つまり、他者や生命あるものに直接的につながれる共感能力である。」私たちは物事の客観的な世界や事実を傍観するのではなく、「他者の目を通して、その世界が明らかになるを見るのである。」その技術はチェーホフが呼ぶところの「心から聴く」ことに近づくのである。そして役者にとって重要なことであるが、それは鍛えて伸ばしていくことが可能なのである。自分の注意は、その開かれた心から来る。他の誰かと共にいるのである。開かれた思考と心で内側から順応し、感じることができるのである

 

⑷生成して聴く

 この四番目の状態をオット―シャーマンは「未来の出現する領域から聴く」。そのコミュニケーションにおいて、送り手と受け手が全く新しいものを創りだすのである。自分たちの間にある空間から共通する未来を生成するのである。自分より何か大きなものにつながるのである。「この段階の聴くことにおいて、私達は出現したいと望む最上の未来の可能性につながることが必要なのである。会話が始まった時の自分が、会話の終わりの時の自分と同じ人ではないということが分かる。微妙ではあるかとても深い変化を経たのである。この生成して聴く状態において、私達は変身するのである。この変身という用語は、すべて俳優にカギとなる言葉である。とりわけチェーホフテクニックにおいては重要なものである。私たちが聴いたり、理解したりすることは、出現したい源(ソース)、つまり開かれた思考、開かれた心、開かれた意志から来るものである。

 

【第一のエクササイズ】

⒜聴く:ダウンロード

 ペアになって二人の役者がワークを一緒に行う。俳優Aは俳優Bに話をする。すべてに対して審査したり、分類をおこなったりしながら、俳優Bは俳優Aの話を聴く。もう一方が話をすることに対して、もうすでに知っている、という態度を取りながら話を聴く。聞いたこと対して意見を持っている。同意しているかもしれないし、反対なのかもしれない。

 

⒝ジェスチャーを見つける

 俳優Aはパートナーの前に立ち、俳優Bがどのように自分たちの話を聞いていたのかを表す全身を使ったジェスチャーを見つける。ジェスチャーに明確な形と方向性が必要である。身体的に動き始める前には準備があり、動きが終わっても続く内的な動きの持続がある。ジェスチャーのエネルギーを放ち続ける。

 

エクササイズ中の考察

 聴き役の何名かの俳優達は、常に頷いていた。「本当に、あなたの言っていることは正しい。」「それはまさしく私がおもっていたことだ。」他のものは常に首を横に振っていた。それは彼らがより知っているからだ。俳優Aが何を言っても、Bにはすでにそれについての意見があり、自分の見解を確認していた。いくつかの会話においては、同意や友好さがみられたが、部屋全体的の雰囲気は、苛立ちへと変化していった。

 

エクササイズ後の俳優達との話し合い

 

ž   「これは本当にイライラさせる。彼は全く私に興味を持っていなかったから。」

ž   A:「私の話全然聞いていなかったでしょ。」B:「聞いてたよ。けど話ほんとにつまらなかった。知っていることばかりだったからね。」

ž   「気持ちは一方通行だった。実際、あなたは全然動いてくれなかった。自分のところにじっとしていたんだから。」

ž   ABに話しかけて、「あなたは私を吸い取っていた!吸血鬼みたいにね!」

ž   「この聴くということは、かなり自己中心的だ。」

 

【第二のエクササイズ】

⒜聴く:対象に集中して聴く

 同じペアで行う。俳優Bは俳優Aにいくつかの情報について尋ねる。例えば、空港までの行き方、医療手当、科学の実験、料理のレシピついてなどである。その情報は聞き手にとって極めて重要である必要がある。そして俳優Aには、説明の準備ができるのである。

 

⒝ジェスチャー

 この種類の聴くことについてのジェスチャーを見つけ、そのジェスチャーを思い切って行う!そしてジェスチャーをもう一度行う。今度は形や方向について取り組む。どのように呼吸が流れるのか?その呼吸に合わせてジェスチャーを行ってみる。声を使ってみる。内的な動きを保ちながら、動作動詞を使い自分の意志を表現し、「私は・・・をしたい」と言ってみよう。自分が集中や視点はどこにあるのだろうか?

 

エクササイズ中の考察

俳優は互いに息があっているようである。何組かは急いでいるようである。多くの人は頭に集中している。まるで身体のセンターがそこにあるかのようなのである。真剣な話があったが、また笑いや驚きもあった。

 

エクササイズ後の俳優達との話し合い

 

・「前のエクササイズと比べて、ジェスチャーは変わったのか?」「もちろん!今回は彼(パートナー)が私とつながってくれている印象を受けた。」

・「自分のジェスチャーも変わって、私の聴く目的も変化しました。」

・「急に彼が私から何かを欲しがった。(笑いながら)まるで私の息子になったみたいに、彼が私に電話をかけてきて、お金をせがんでくるの。」

 

それでは先に進んでいこう。

 

【第三のエクササイズ】

⒜聴く:共感

 今回、俳優Bは新しいパートナーを見つける。そのパートナー(新しい俳優A)は物語や逸話など、何かAの心を動かすことを話します。面白い話かもしれないし、不愉快な話かもしれません。自分に起きた話や、聞いた話かもしれません。自分の秘密になるかもしれない。そして聴いている時は、Bはその話をしているAがどのように感じているかを理解したい。BAの目を通して世界を感じたいのです。Bは心と心でつながっているように想像してみてください。

 

⒝ジェスチャー

 もう一度、BAの前に立ち、自分が聴いていることを表現する明確で大きなジェスチャーをします。準備、始め‐中間‐終り、動きとエネルギーの保持を忘れないように注意します。三回ジェスチャーを行います。空間にそのエネルギーを放ちます。そして目を閉じます。自分の身体に耳を澄まし、そして空間にも耳を澄ませます。

 

エクササイズ中の考察

 部屋全体の雰囲気が変化している。より親密感が増している。受講生は、互いにより近くに寄っている。お互いを触れ合っている。何名かの人は泣いている。何名かの人は大笑いをしている。あるペアはとても小さな声で話をしていて、それは誰にも自分たちの話を聴いてほしくない感じである。その他の人は、びっくりしてお互いの顔を見ている。

 

エクササイズ後の俳優達との話し合い

 ・「本当に彼女は僕を理解してくれていた。」

 ・「ずっと彼を抱きしめてあげたかった。彼はとっても傷つきやすかった。」

 ・「自分の人生で初めて、女性がそんな状況の時どうやって感じるのかを理解できたと思う。」

 ・「彼はとても暗い秘密を私に話してくれた。はじめ私は嫌悪感があって、彼を押しのけたかった。けれど彼は生き残るために戦っているただの人間なんだと気が付いた。それで同情をした。」

 ・「気分がとてもいい。わたしは心を開いて、彼女も開いてくれた。こういった種類の聴き方は俳優にとって最適なんではないだろうか?」

  

俳優たちはどんどん高揚してきて、自分の経験や感じたことをシェアしたいようだが、まだワークは続く。

 

【第四のエクササイズ】

 

⒜聴く:生成的に

 今度は三人一組のグループを作る。誰が話をするのか決める。一人が話をして、残りの二人が話を聴いている時に、自分たちには共通した未来を持っていると想像する。三人は実現可能な未来をシェアして、聴くことを通してその未来を作り上げる。

 

⒝ジェスチャー

 もう一度、動きで表してみる。部屋に広がって、パートナーと一緒に共通の未来を持っているという質を持って、聴くジェスチャーを行ってみる。呼吸をして、そして声をのせていく。そしてジェスチャーを内的にする。三回実際に行い、一回内的に行う。身体的に動きを終えた後に、そのエネルギーを保つこと覚えておく。もう一度、ペアで話をしながら、内的なジェスチャーのエネルギーを放ち続ける。動作動詞で目的を表現する。

 

エクササイズ中の考察

雰囲気と聴き方の質が変化した。それは皆で、行動や意志といった何かを共に作り出しているかのようであった。そこには一人の話し手と二人の聞き手がいるというのでは、もはやなかった。話をすることと聴くことが混ざり合い、一つになっていた。俳優たちは自分たちの持っているものを寄せ合い、そこから何か新たなものを作り出す。それは統合である。

 

エクササイズ後の俳優達との話し合い

・「これは全く違うレベルのコミュニケーションである。」

 ・「もう私が聴いているとか、彼が話をするとか、そういうことではない。それはシェアすること。一緒に何か作ることである。こんなことは前に感じたことがなかった。」

 ・「聴くことは、受け取ることであり、与えることである。」

A「言うのが少し恥ずかしいけど、まるで親になった気分だった。子どもを産んだばかりで、新しい子どもを面倒している感じじゃなかった?」、俳優Bはうなずきながら、笑っていた。

 ・「聴いているとき、盛り上げている感じがあった。」

 ・「私は寄せ集めることを感じた。」 

 ・「こういった関係の中で聴くことによって、そこ何かが湧き出てくるようだった。」

 ・「ある意味、会話は共同作業である。」

 ・ある人は、これは創造的な傾聴(クリエイティブリスニング)と呼んだ。またある人は自由と力を与えてくれる経験を見出し、分かち合い(シェアリング)ついて語り合っていた。

 

このエクササイズでは、会話の中で何が起こっているのかを身体的で表現をするジェスチャーを用いた。しかし、稽古においては、俳優は最後から始める。つまり、まずジェスチャーを行い、それに質(クオリティ)を加える、そして内的なジェスチャーの動きの流れに乗りながら、そのエネルギーと共に聴くのである。それは芸術的な選択なのである。俳優が聴くための土台として、どのジェスチャーを使うか決めることができる。それは開いているのか?絞り出しているのか?貫いているのか?抱きしめているのか?またどういった質を聴くことに注ぎ込みたいか?暖かさか、冷たさか?無関心さなのか、興味津々なのか?

 

物語を語る

 

舞台上では、作品を使って様々な角度からこのエクササイズを用いている。私は台湾の国立台北芸術大学の生徒とベルトルト・ブレヒトの「コーカスの白墨の輪」に取り組んだ。そのクラスでは、歌手がグルシュとその貴族の子供について語った挿話を探求した。それはこのように始まる。

 

宮殿を出たとき娘には

聞こえたような気がした、子どもの叫ぶ声が

泣き声ではなく、はっきりと叫ぶ声が

微かだが「私を助けて」という声が

(…)

 

歌手のグルシュとその子供に語った話を、観客はどのように聴くのかという問いから始めた。「聴くジェスチャー(ジェスチャーオブリスニング)」を使うことによって、歌手の話を聴く観客に、どのような影響を及ぼすのか調べた。

 

ベルリーナーアンサンブルの稽古で、ブレヒトは俳優たちに自分の言葉で寓話やプロットを語るように言った。そして現在、一人の俳優が皆の前に立って、その物語全体を語るのである。そして二回目にもう一度語るのだが、今回はもともと台本に書かれているセリフのみを使う。観客は何が起きているかの事実を理解したい。そして歌手もその情報を伝えたい。「対象に集中したリスニング」を用いたこのワークは、ストーリーテリングを正確にすることにおいては、とてもいいトレーニングである。

次のステップにおいては、聴くモードを「共感」に変えていきます。観客は心からも理解したい。歌手の目を通して、その世界を理解したい。歌手はグルシュに同情しているのか?それとも領主側についているのか?起きたことについて、自分の立場を明らかにしているのか?子どもの運命についてどのように感じているのか?もう一度、私達は聴くということをジェスチャーにしてみる。そうしてこの空間での動きが明らかになってくる。

第三のステップにおいては、「生成するリスニング」に取り組み、そしてそのジェスチャーを行った。身体を使ったワークの後のディスカッションでは、歌手を演じた俳優は、挿話を語っただけではなく、観客と共に挿話に命を注いだ、と言っていた。「まさにその瞬間、私たちは一緒になって言葉を創りだしているようであった。芝居全体を創り出した。」普段私達は能動的に聴くこと(アクティブリスニング)の力を侮っている。しかしここで、その力が明らかにされた。それぞれの聴くジェスチャーが、歌手と俳優の挿話の語り方に変化を与えた。リスニングはとても想像力豊かな力になりえる。

 

当然、反対のやり方を考えることができる。歌手や語り部は観客にどのように耳を傾けるのか?ただ観客を審査して分類するだけもできる。もしくは観客の耳を通して、自分の声を聴くこともできる。チェーホフは、俳優は想像した観客に質問を問うべきとして、様々な想像上の観客に耳を傾ける訓練をするように提案した。観客と一緒に「共通の未来を生成している」と想像しながら、注意深い歌手が観客を聴いたら、何が変わりうるのであろうか?公演の度、台本の語りや表現は様々な質によって彩られていくであろう。彼の芝居は新鮮で多次元的になり、ありきたりではなくなる。

 

役へのアプローチ

 

聴くことは全ての芸術的な役の出発点である。俳優は役を取り囲むイメージを聴き、作者の台本と書かれた状況を聴き、空間やパートナーや語られる言葉を聴く必要があります。私は役を追求していきたい。チェーホフは私たちが役に質問を投げかけ、その役が私達に返してくれる答えに耳を傾けるように提案した。

 

今までにあなたは役に会ったことがないと、想像してもらいたい。多分その役に関して聞いたり、読んだりしたことがある、その程度です。そして、今日あなたはその役とデートをすることになっている。その人はまだあなたにとって見知らぬ人である。その役に初めて会った時には、ゆっくりと近づきたいのかもしれない。初めて会って自分の人生の全てを伝えられないし、初めて会った時に全てを聴く準備もできていない。その人は少し変わっていて、不機嫌で、奇妙に映るかもしれない。チェーホフが集中について語ったことを思い出してみると、あなたは一目でその人に魅了される必要はない、と言いった。もしかしたら、演出家があなたにその役を与えて、自分はその役をやりたいとさえ思っていない。けれどあなたはその役に会う選択をしたのである。それこそが演技が始まる場所です。好奇心。興奮。未知へ期待。けれどまだその人のことをよく分からない、けれど情熱的にその人のことを知りたい。あなたは準備が整う。そこで聴く準備ができるのだ。

 

あなたは想像の中で役に出会うのである。その役に多くの質問を投げかける。そしてその答えを聴くのである。あぁ、この頃にはあなたは少し役に惹かれているのではないだろうか。

今からは、リスニングの4段階のモードを体験していこう。どれも飛ばしてはいけない。どうやって役に耳を傾けるのか?どこから自分を開くのであろうか?習慣的な判断から?開かれた思考から?開かれた心から?開かれた意志から?

役と会って、役に自分の意見が承認されることは可能である。多くのカップルがこのように成り立っている。しかしすぐにコミュニケーションに限界が来る。あなたはすぐに役に飽きてしまい、役もあなたに飽きてしまう。

であれば、他のモードも試してみよう。あなたは役の背景を理解したい。その役のいくつかの事実を知る必要がある。あなたの思考は大きく開かれている。これをする時、あなたは役についての多くの重要で面白い情報を得ることになる。あなたはその情報が必要なのである。それは「その役はこうあるべきだ。」という恐怖や意見を拭い去り、役に近くに寄っていくためにそれは必要なのである。その芝居を何度も何度も読んで、その時代背景を調べ、手に入れられる情報をすべて手に入れるのである!どんなことでも知りたいとなれば、その好奇心に従うのである。けれど気をつけなさい!まだ頭の中だけのこと。この人間が本当は誰なのか分かっていない。ただの事実だけ知っているに過ぎない。

 さらに先に進んで、心からその役を理解してみよう。心を大きく開いて聞いてみよう。文学において素晴らしいことは、役が透けているということ。その内側を見て取ることができる。最も深いところにある意図、疑念、秘密や感情を見て取ることができ、また一番奥底にある恐怖、願望、欲求や夢を聴くこともできる。しかし、それはもしどのようにあなたが聴くのかを知っていればの話である。あなたの役の目を使って世界を見るということ学ぶであろう、そしてその役の耳を使って聴くことを学ぶであろう。これ以上に面白いことはあるであろうか?他者の心や内的な命に潜っていくことを楽しんでもらいたい。けれど忘れてならないのは、それは役のことであり、あなたのことではないということである。

俳優としてあなたはその他者に変身をしたい、しかしより正確に言うならば、そのワクワクさせてくれる他者との出会いによって、あなたは変化されたい。あぁその役はあなたとなんて違うのであろう。「未来の現れてくる領域から」やってくる役を聴いて見なさい!あなたの聴くジェスチャーは何であるのか?それに適したジェスチャーは何になるのだろうか?一緒に何かを生成していることを想像してみましょう。もしかしたらそれは共通の未来になるのかもしれません。あなたたち二人より大きい何かになるかもしれない。そしてあなたは全く新たな役を生み出すことになるであろう。シェイクスピアやシラーが想像し、しかしまだ誰も観たことのない誰かである。自分より大きな誰かに没頭する、それこそが聴くことができる俳優の喜びである。そして他者に没頭することに身をゆだねるのである。あなたの「日常の自我」は沈黙し、「芸術の自我」がその代わりに現れる。思考、感情、意志を大きく開いて聴くのである。

 

どのように役は聞くのか

 

役は聴き手である。そして良い聴き手かもしれないし、悪い聴き手かもしれない。俳優としてのあなたとは全く異なったやり方で、彼らは聴いているのかもしれない。それはただ彼らがあなたとは違うからである。もしあなたが話を聴けない役を演じる時は、俳優としてのあなたは良い聴き手でなければならない。この違いを楽しんでみてほしい!

 

「コーカサスの白墨の輪」の話に戻って、台所女中のグルシェを見てみると、どのように貴族の赤ん坊に耳を傾けているのか。彼女が聴くことは、子どもを連れて北の山々へ逃げるという決断にどのような影響を与えているのであろうか?その子どもが、どのようにグルシュが聴くかに変化を与えていることは、とても明らかなことである。彼女が聴くことは彼女自身を変化させている。それによって、行動が生み出されているのである。

 それでは、女中の恋人である兵士のシモン・ハハヴァの話に、彼女が耳を傾けることを観察してみよう。そして初めての二人が出会った時、お互いの話をどのように聴いていたのか観察してみよう。また二年後ハハヴァが戦争から帰還すると、他の男と結婚し小さな男の子がいる彼女を見た後、彼らの聴くことに起きた変化を書き留めてみよう。「その若い娘さんは、誰かさんが来るのが遅すぎた、なんて言いたいのかな?」どのようにサイモンは彼女に近づいたのであろうか、そしてグルシュはどのように彼が彼女の話を聞いてもらいたかったのであろうか?お互いがどのように聴くのかに注意を払うことで、空間に独特な雰囲気を創りだすことができる。

 

 どんな役にもこれらの質問を投げかけることができる。芝居を通して読んで、その役の聴くジェスチャーや質(クオリティ)が、また別のものへとどのように微妙に変化をしているのか探求することができる。その変化の転換点を見つけてもらいたい。ある役は自分の話をしたいという理由から話を聴いている。またある役は共に過ごした思い出を話している。ある役は聞いたことを一かけらの金のように扱う。またある役は聞いたことを、人を傷つけるために使い、ある役は癒すために使う。こういった探求はどこまでも続いていく。楽しんでおこなってみてほしい!

 我々の日々の芸術的な仕事のテーマが「相互的な未来の実現性のために聴くこと」になりつつあると想像してほしい。俳優や演出家(監督)が、なんと注意深く話をきいていることか!なんと大胆で創造的な雰囲気を私たちは生み出しうるのか!そうして我々は観客に伝えられる特別な何かを持ちうるのである。

 

 

 

翻訳参考文献】

 ・U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術  オットー・シャーマー () 中土井僚  (翻訳)  由佐美加子 (翻訳)  出版社: 英治出版 発売日:2017/12/20

 ・ブレヒト戯曲全集〈第7巻〉 ベルトルト・ブレヒト (著) 岩淵 達治 (翻訳) 出版社: 未来社 発売日: 1999/10/1

 

Work cited 

 

Boner, Georgette. Hommage an Michael Tschechow. Zürich: Werner Claassen Verlag, 1994

 

Brecht, Bertolt. The Caucasian Chalk Circle. English version by Eric Bentley. London: Penguin, 2007. 

 

Cechov, Michail A.. Die Kunst des Schauspielers. Moskauer Ausgabe. Stuttgart: Urachhaus Edition Bühnenkunst, 1990. 

 

Chekhov, Michael. Lessons for the Professional Actor. Edited by Deirdre Hurst du Prey. New York: Performing Arts Journal Publications, 1985

 

–––––. On the Technique of Acting. Edited by Mel Gordon. New York: HarperCollins, 1991.

 

–––––. Lessons for Teachers of his Acting Technique. Transcribed by Deirdre Hurst du Prey. Ottawa: Dovehouse Editions Inc.: 2000. 

 

–––––. On Theatre and the Art of Acting - a five hour CD master class. Edited by Mala Powers. London and New York: Applause, 2004.

 

Powers, Mala. A Guide to Discovery with Exercises. Companion booklet to Michael Chekhov, On Theatre and the Art of Acting - a five hour CD master class. London and New York: Applause, 2004. 

 

Scharmer, C.Otto, and Katrin Käufer. “Führung vor der leeren Leinwand.” In: OrganisationsEntwicklung Nr.2 (2008): 4-11. 

 

Scharmer, C.Otto. Theory U – Leading from the Future as it Emerges. 2nd Edition Oakland: Berrett-Koehler, 2016. 

 

 

 

Endnotes 

 

1 Powers 2004, p.29

2 Chekhov 2004 and Powers 2004, p.44

3 In: Boner 1994, p.151

4 See Chekhov 2000, a selection of Deirdre Hurst du Prey’s notes from Chekhov’s lessons at Dartington Hall. MICHA is currently working on a new edition including more material. However, most of the notes are still sleeping in the archives. 

5 ibid. p.17 and p.48

6 ibid. p.16

7 ibid. 

8 Cechov 1990, p.20. See also: Chekhov 1991, p.10

9 see Chekhov 1985, p.107ff and Cechov 1990, p.45-82 

10 Chekhov 2004 

11 Powers 2004, p.43f. 

12 ibid. p.44

13 Scharmer 2016. See also Scharmer and Käufer 2008. All following quotes are from Scharmer 2016, Introduction: Shifting the Structure of Our Attention. 

14 Chekhov 2004: “Every true artist, and especially talented actors, bear within themselves a deeply rooted and often unconscious desire for transformation.” 

15 Brecht 2007, p.28 

16 ibid. p.28f. for the Singer’s whole monologue. 

17 Brecht’s use of the term „empathy“ is rather complex and would need a discussion on its own. Unfortunately this cannot be done here, nor can I discuss here the difference between Chekhov’s „Gesture“ and Brecht’s „Gestus“. 

18 Chekhov 1991, p.22f 

19 Brecht 2007, p.60